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仙台高等裁判所 昭和56年(く)17号 決定

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告申立の趣意は、抗告申立人提出の「即時抗告申立書」記載のとおりであり、その理由とするところは、「(一)本件刑の執行のための呼出状を受取つていない。(二)収監状の話は他人より聞いたが、家の競売問題があり、出所後の問題を考え受刑前に留守となる自宅保存の手配に時間を取られた。この内容の一部は青森地検に連絡させてある。(三)青森地検には四月四日若しくは六日の朝には受刑のため出頭する段階になつていた。(四)決して受刑をきらい逃亡したものではない。」というものであり、要するに抗告申立人には刑事訴訟法九六条三項に該当する事由がないから、原判決を取消し、検察官の保釈保証金の没取請求を棄却する旨の決定を求めているものと解される。

一  よつて所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果を合わせ検討すると次の事実が認められる。

(一)(ア)  抗告申立人は、昭和五五年二月一日、青森地方裁判所において、抗告申立人を被告人とする業務上過失傷害、犯人隠避教唆被告事件(同裁判所昭和五三年(わ)第二九一号事件)につき、「被告人を懲役八月に処する。訴訟費用は全部被告人の負担とする。」との判決の言渡を受けた。

(イ)  右判決に対し、即日控訴の申立があり、右事件は仙台高等裁判所に昭和五五年(う)第五〇号事件として係属し、同年六月四日同裁判所は「本件控訴を棄却する。」との判決を言渡した。

(ウ)  右判決に対し、同年六月一一日上告の申立があり、右事件は最高裁判所に昭和五五年(あ)第一二五四号事件として係属したが、同裁判所は同年一一月一八日上告棄却の決定をなし、その結果前記青森地方裁判所が被告人に対して言渡した前記判決は同年一二月二日確定した。

(二)(ア)  一方青森地方裁判所は昭和五五年二月一日、保釈保証金を八〇万円、被告人の制限住居を青森市大字三内字沢部三四〇番地の一八西村正方と定め保釈を許可し、右保釈保証金は即日抗告申立人の第一審弁護人祝部啓一から即日同裁判所に納付され、抗告申立人は同日身柄を釈放された。

(イ)  仙台高等裁判所は前記控訴棄却の判決言渡後である昭和五五年六月一六日、控訴審の弁護人である早川健一弁護士の請求により保釈保証金を八〇万円、制限住居については前記青森地方裁判所のした保釈許可決定と同一の場所と定めて保釈を許可する決定をなし、さらに同月二三日保釈保証金については原審に納付した保証金八〇万円の納付者である原審弁護人祝部啓一の流用同意を得たので流用並びに代納の許可を得たい旨の申請に対し、これを許可した。

(三)(ア)  前記(一)(ウ)記載の上告棄却決定確定後の昭和五五年一二月一二日、青森地方検察庁検察事務官成田欣一は仙台高等検察庁から刑の執行指揮嘱託を受け、呼出状を抗告申立人に送付したところ、同月一六日午前八時三〇分抗告申立人の友人新名毅と名乗る者から、「御庁から呼出を受けている須藤昭男は横浜市へ所用で出かけ、留守なので連絡する。須藤が横浜市へ行つたことは一三日頃、私の家族に対し電話で連絡があつたので知つた。検察庁から須藤への呼出があることは検察庁からの封書を私が私の一存で開封したので分つた。須藤が何の用事で、何時横浜へ行つたかは分らないが、今月の一七日か一八日帰宅するような話しぶりだつたそうである。」との電話連絡があつた。そこで右成田検察事務官は同日抗告申立人の保釈中の制限住居に赴いたところ、同所には抗告申立人名の表札が掲げてあつたが、居宅内にはだれも居る様子がなかつた。

(イ)  昭和五六年二月三日午後四時三〇分、前記新名から青森地方検察庁に電話があつたので、前記成田検察事務官がこれを受けたところ、右新名は「本日私(新名)の留守中須藤から電話があり、『横浜で身体具合が悪く入院しているが、何時までも検察庁に迷惑をかけるわけにもいかないから、無理をして退院し、今月の一六日に出頭する。』との連絡があつたそうです。病名や入院先について詳しいことは分らないそうですから、私が手配し、なんとか詳しいことを聞いて御庁に連絡しますから何分よろしく願います。」と述べた。

(ウ)  昭和五六年三月三日、青森地方検察庁検察官検事小梛和美は鯵ヶ沢警察署長に抗告申立人が保釈制限住居に現住するや否や等につき調査を嘱託したところ、同月一八日に至り右警察署長からの回答により抗告申立人は右制限住居に現住せず、抗告申立人の母須藤イトも抗告申立人の現住地を知らないこと、しかし右須藤イトは同年二月下旬東京にいるという抗告申立人から電話で赤羽局止めで電報為替により送金して欲しいとの依頼があつたので、その依頼に応じて金一〇万円を送金していること、右送金より約一週間位前抗告申立人は秋田県大館市に居住する兄須藤新一方に立寄り一五万円位を借りて行つたことが判明した。

(エ)  前記小梛和美検察官は、昭和五五年一二月一六日前記確定裁判執行のための収監状を発布しており、又東京地方検察庁検察官も同趣旨の収監状を同日発布していたところ、抗告申立人は昭和五六年四月二日東京地方検察庁において、右東京地方検察庁検察官発布の収監状により収監された。

二  以上の事実によれば、抗告申立人は刑の言渡を受けその判決が確定した後、執行のため呼出を受けたこと及び自己に対する収監状が発布されていることを知りながら、その所在についても呼出又は収監に応じられない理由についても明らかにせず、その所在を転々と変えていたことが認められる。

抗告申立人は当裁判所の刑訴法四三条三項による事実取調としての照会に対し、(1)保釈制限住居である居宅の競売問題解決のため手配中に期間を取られたものであり、(2)前記二月三日の新名毅を通じての電話連絡により逃亡の意図のないことは検察庁に連絡してあると返答し、更に(3)昭和五六年三月三〇日には、仙台の菅原弁護士に対し、四月三日には東京を発つて仙台に立寄り、同弁護士を通じて検察庁へ電話で連絡できるようにすると電話をかけてあるし、(4)抗告申立人が一日も早く受刑しないと、友人達が保釈関係で抗告申立人と同一であるとみなされ影響を受けるとの話を聞いたので一日も早く帰省するつもりであつたが族費の都合がつかなかつたと陳述する。しかしながら、右保釈制限住居は保釈許可決定の表示に従えば抗告申立人以外の者の所有であることが推認され、その保存のため抗告申立人が東京横浜方面に、しかもその行先を母親にすら告げず赴かねばならない理由があるとは認められず、新名毅の青森地方検察庁に対する前記連絡内容に照らすと新名の同検察庁に対する連絡はもつぱら同人の発意に出たものであつて抗告申立人の要請に従つてなされたものとは認められないし、抗告申立人の所在も行動予定も何ら明らかにしておらず、又抗告申立人の菅原弁護士に対する連絡が検察庁への連絡とはいえないことを考えると右新名及び菅原弁護士に対する連絡の存在を以て抗告申立人が逃亡の意図のないことを明らかにしているとは到底認め難く、旅費の都合がつかなかつたとの点は抗告申立人が昭和五六年二月下旬ころ母親や兄から金員を受取つていることを考え合わせると特に考慮すべき事項というに足りず、抗告申立人の右陳述をも充分考慮し、よしんば呼出状の送達が抗告申立人に対し直接なされなかつたとしても、抗告申立人は、刑訴法九六条三項に定める「保釈された者が、刑の言渡を受けその判決が確定した後逃亡した」者に該当すると認められる。

三  そうすると、抗告申立人に対しては刑訴法九六条三項が適用される場合に該当し、かつその逃走期間が四ケ月に及んでいること等を考慮すると、原裁判所が、昭和五五年六月一六日に仙台高等裁判所がした保釈許可決定及び同月二三日付の保釈保証金流用代納許可により保釈保証金とみなされた金八〇万円を全部没取するとした決定は理由があり、何らの違法も不当もないから論旨は理由がない。

よつて、刑訴法四二六条一項後段により本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

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